4月28日、GWを前に毎年恒例の米子城ライトアップの設営準備と草刈りを行った。
今では米子市の事業となっているが、そもそも十数年前、ライトアップを始めたのが鳥取県建築士会西部支部で私もその中の一人である。
当時はライトアップ経費を賄うため、企業から協賛金を集め実施していたので、照明具も少なく樹木も生茂り、城壁の一部がぼんやり見える程度だった。
この頃、米子市が実施した城壁周辺の樹木伐採が話題となっているが、当時、要望しても森林や野鳥の保護を理由に伐採に応じなかったのも米子市で、城壁保護の観点から担当課とやりあったことを思い出す。
また、湊山球場が撤去され三の丸の城壁がはっきり見えるようになったが、鳥大医学部に提供すべきとの主張が米子市を二分し米子市議会でも大論争となり、果ては鳥大医学部をも巻き込む大騒ぎとなった。
私は文化庁に出向き、文化財の主任調査官を講師に米子市公会堂でのシンポジウムを要請し、反対派の主張に対抗した。
あれから十数年、当時、声高に反対を叫んだ議員や同調した市民の皆さんも、今では米子城のライトアップを楽しんでいると思うのだが。
今では米子市の事業となっているが、そもそも十数年前、ライトアップを始めたのが鳥取県建築士会西部支部で私もその中の一人である。
当時はライトアップ経費を賄うため、企業から協賛金を集め実施していたので、照明具も少なく樹木も生茂り、城壁の一部がぼんやり見える程度だった。
この頃、米子市が実施した城壁周辺の樹木伐採が話題となっているが、当時、要望しても森林や野鳥の保護を理由に伐採に応じなかったのも米子市で、城壁保護の観点から担当課とやりあったことを思い出す。
また、湊山球場が撤去され三の丸の城壁がはっきり見えるようになったが、鳥大医学部に提供すべきとの主張が米子市を二分し米子市議会でも大論争となり、果ては鳥大医学部をも巻き込む大騒ぎとなった。
私は文化庁に出向き、文化財の主任調査官を講師に米子市公会堂でのシンポジウムを要請し、反対派の主張に対抗した。
あれから十数年、当時、声高に反対を叫んだ議員や同調した市民の皆さんも、今では米子城のライトアップを楽しんでいると思うのだが。