
昭和2年8月24日、旧日本海軍連合艦隊が日本海で行った夜間無灯火演習で巡洋艦「神通」との衝突事故が発生、駆逐艦「蕨」が大破沈没、後続の駆逐艦「葦」と巡洋艦「那珂」も衝突大破し、「海の八甲田山」と呼ばれる119名が亡くなる大惨事が発生した。


美保関沖事件慰霊の会の佐名木会長代行と井上事務局長と共に献花を捧げ会場を後にした。
数多英霊の礎の上に今日があるとすれば、美保関沖事件を風化させることなく、後世に語り継がれるよう努力することが、この地に生きる者の使命ではないだろうかと帰る道すがら自分に問うてみた。