

写真は鳥取民会議から参加された三朝町議会の吉田議員だが、偶然にも同じ道明という名前で縁を感じながら机を並べた。

北方領土問題対策協会の諸星理事長の主催者挨拶で結団式が始まり、続いて長谷川根室市長が来賓挨拶を行い、訪問団の山田団長が挨拶と団員紹介を行い結団式を終えた。


その後、文化交流について意見交換やロシア語講座が行われ事前研修会が終了した。





24日、古釜布湾沖で一夜を過ごし、夜明けと共に古釜布湾を目指し錨を上げた。
北方四島の時間は2時間早く、上陸後の日程に合わせて朝食は東京時間の5時から行った。
古釜布港には「えとぴりか号」が接岸できるバースが無いため、ロシア当局のはしけの到着を待ち7:10から船内で入域手続きを行った。
ロシア当局やはしけ等の撮影は禁止されており、写真は入域手続き後、私が乗船した第二便目のはしけ内部の様子である。
上陸後、古釜布湾近くにある「友好の家」に到着し、「地区行政府・議会」と「ろうそく岩」コースの2班に分かれて視察を行った。
「友好の家」は、北海道選出の鈴木宗男衆議院議員の尽力によって建設され「ムネオハウス」で一世を風靡したが、建設に係る利権疑惑で公設秘書や地元建設業者が有罪となり、鈴木氏本人も有罪が確定し、議員辞職に追い込まれた施設でもある。
「友好の家」に住み付いている猫が、61名の訪問団を出迎えてくれた。
国後島のアテンドを受け持つロシア人担当者。
北方四島の時間は2時間早く、上陸後の日程に合わせて朝食は東京時間の5時から行った。






安倍総理とエリツィン大統領の2ショットTシャツを着込み歓迎してくれた。









ヴェトロア園長から、こども園の概要と人口増加による待機児童の現状を聞いたが、その多くが軍人の駐留によるものだと推測される。
二人の園児が踊りを披露して私たちを歓迎してくれた。
寒冷地のため室内の温水プールが完備されていた。
園内には監視カメラ室もあり設備は充実していた。
次に地区図書館を視察した。
ソジノア館長から図書館の概要と日本の蔵書について説明を聞いた。
最後に、2班が合流して古釜布日本人墓地を訪ね、神官による慰霊祭が行われた。









左側の上段が私の寝床となった。















お互いに用意したプレゼントを交換し、和やかな内にホームビジットを終え「友好の家」に帰った。

夕食交流会の終了後、港へ移動し、「えとぴりか号」に乗り込み次の目的地、色丹島の穴潤湾沖に向かい、その夜は船内泊となった。

色丹島内を移動するため用意されたトラックバスだが、軍車両を転用したものと思われ運転手も007に出てくるロシア人そのものだった。



文化会館の玄関では民族衣装の少女がパンと塩の歓迎儀式で出迎えてくれた。
















廃墟と思うほど老朽化していたが、現役で稼働していた。








船内で解団式が行われたが、山田団長の「5年前の訪問時の対応と様変わりした」との感想が心に残った。

訪問する度にロシア化される故郷を見るのは忍びないとし、今回を最後にすると呟いた。



その日には米子に帰れないため、宿泊先の東京へとJRとバスを乗り継ぎ釧路空港から羽田空港に移動したが、空港近辺には雷注意報が発令されており、無事着陸したにもかかわらず1時間以上機内に缶詰になる落ちが付いた。