2017年01月
1月30
1月30
1月30
29日、三鴨英輔さんを偲ぶ会が開催され、発起人を代表して足立統一郎氏が開会の辞を述べ、出席者全員で黙祷を捧げた。
初めに、出張のため欠席となった平井知事のメッセージを夫人が読み上げ故人の遺徳を偲んだ。
次に坂本前南部町長が、会見町と西伯町の合併時の協議に触れ、地位に連綿としない信義に厚い人だったと思い出を語った。
続いて陶山南部町長が、昨年の町長選挙に触れ、自身の後援会長就任の経緯について話しながら、三鴨氏の凛として誠実な人柄を紹介した。
家族を代表して次男の弘顕氏が、亡父と過ごした日々を涙ながらに語った。
三鴨英輔さんの位牌に献杯し懇親会が始まったが、故人を偲ぶ多くの声に、政治に携わる者の何たるかを知る思いがした。
初めに、出張のため欠席となった平井知事のメッセージを夫人が読み上げ故人の遺徳を偲んだ。
次に坂本前南部町長が、会見町と西伯町の合併時の協議に触れ、地位に連綿としない信義に厚い人だったと思い出を語った。
続いて陶山南部町長が、昨年の町長選挙に触れ、自身の後援会長就任の経緯について話しながら、三鴨氏の凛として誠実な人柄を紹介した。
家族を代表して次男の弘顕氏が、亡父と過ごした日々を涙ながらに語った。
三鴨英輔さんの位牌に献杯し懇親会が始まったが、故人を偲ぶ多くの声に、政治に携わる者の何たるかを知る思いがした。
1月28
鳥取県中部地震の風評被害が一段落したと思ったら、今度は智頭町地内の国道373号で立ち往生する大型車両の映像が全国放送で流れ、6年前の年末年始に発生した国道9号の大規模な立ち往生が蘇った人も少なくないだろう。
平井知事は関係機関の連携不足を指摘し、原因究明に向けて検証会議を設置するとの意向を示した。
「天災は忘れた頃にやって来る」とは寺田虎彦の有名な警句だが、普段から備えるという意識と行動が如何に希薄で難しいか、改めて思い知らされた様な気がした。
戦後70年余り米国の核の傘の下、自由と平和を謳歌してきた日本人にとって危機管理とは全く別世界のものだったが、頻発する自然災害や激動する世界情勢の中で、目を背け人任せに暮らすことは不可能となってきた。
1月24
23日、山陰地方は大寒波にすっぽりと覆われ大雪となった。
常任委員会の視察で、朝の一便で東京に向かう予定だったが、滑走路に進入する直前に積雪のため引き返し、そのまま欠航となってしまった。
JRに変更するため米子駅に向かったが、駅では朝一番からの特急やくもが到着せず、乗車待ちの人で溢れかえっていた。
結局、昼前まで待ってようやく到着した特急やくもに乗り込み岡山へ向かった。
走り出して間もない岸本・溝口間でパンタグラフの不具合が発生し、しばらくの間停車していたが、走行可能とのことで走り出した。
生山駅に着くとパンタグラフの点検のため停車し、米子から整備士が到着する間、視察先の資料を見ながら車中で待った。
2時間程度が経過した頃、パンタグラフが復旧し、岡山に向けて出発するとのアナウンスが流れたが、雪深い峠越えに懸念を示す議員もあり、西部地区3名の議員で協議の結果、ここで引き返す事に決定した。
停車したのが生山駅だったので、復旧を待つ間、列車を降りて駅舎で待つことが出来たのは、不幸中の幸いであった。
レール上には40~50㎝の積雪があり、ラッセル車の必要もあったと思うが、雪を押し分けながら「特急やくも」は走って行った。
大雪の所為で米子に帰る車の手配が手間取り、更に2時間近くを生山駅で過ごした。
結局、家に着いたのは21時過ぎで、早朝から一日の大半を、飛行機と列車と車の座席で過ごす視察となってしまった。
峠越えを心配した「特急やくも」だったが、その後は順調に進み岡山に着いたとのことで、視察2日目からの合流は結果的には可能であった。
時々の判断と結果論との間で、悔やむことが常に付きまとう。
危機管理について考える一日となったのは、唯一の収穫と自身を慰めた。
常任委員会の視察で、朝の一便で東京に向かう予定だったが、滑走路に進入する直前に積雪のため引き返し、そのまま欠航となってしまった。
JRに変更するため米子駅に向かったが、駅では朝一番からの特急やくもが到着せず、乗車待ちの人で溢れかえっていた。
結局、昼前まで待ってようやく到着した特急やくもに乗り込み岡山へ向かった。
走り出して間もない岸本・溝口間でパンタグラフの不具合が発生し、しばらくの間停車していたが、走行可能とのことで走り出した。
生山駅に着くとパンタグラフの点検のため停車し、米子から整備士が到着する間、視察先の資料を見ながら車中で待った。
2時間程度が経過した頃、パンタグラフが復旧し、岡山に向けて出発するとのアナウンスが流れたが、雪深い峠越えに懸念を示す議員もあり、西部地区3名の議員で協議の結果、ここで引き返す事に決定した。
停車したのが生山駅だったので、復旧を待つ間、列車を降りて駅舎で待つことが出来たのは、不幸中の幸いであった。
レール上には40~50㎝の積雪があり、ラッセル車の必要もあったと思うが、雪を押し分けながら「特急やくも」は走って行った。
大雪の所為で米子に帰る車の手配が手間取り、更に2時間近くを生山駅で過ごした。
結局、家に着いたのは21時過ぎで、早朝から一日の大半を、飛行機と列車と車の座席で過ごす視察となってしまった。
峠越えを心配した「特急やくも」だったが、その後は順調に進み岡山に着いたとのことで、視察2日目からの合流は結果的には可能であった。
時々の判断と結果論との間で、悔やむことが常に付きまとう。
危機管理について考える一日となったのは、唯一の収穫と自身を慰めた。
プロフィール
野坂道明(のざかみちあき)
昭和32年4月9日生
議員履歴
■鳥取県議会議員(2015-)
■米子市議会議員(2006-2014)
■鳥取県西部広域行政管理組合議会(2010-2014)
学 歴
昭和45年 米子市立加茂小卒
昭和48年 米子市立第4中卒
昭和51年 烏取県立境高卒
昭和56年 帝京大学経済学部卒
経 歴
■元(財)とっとりコンベンションビューロー西部地区企画運営委員会委員長(理事)
■元(社)米子法人会青年部会副部会長
■元米子商工会議所青年部会長
■米子市消防団河崎分団員
■河崎校区自治連合会顧問
■河崎公民館運営委員会顧問
■NPO法人やまつみスポーツクラブ顧問
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