




隆盛を極めた往時の姿を思い描きながら、延命長寿の御神水を頂いて本坊西楽院跡で暫しの休憩を取った。



この他、古道沿いに点在する地蔵を見ながら大山寺の開基、金蓮上人が寂静された寂静山に上り、僧兵の武練の地など中世以前の寺坊跡を眺めた。

標高892mの豪円山は、今でも北側の斜面の一部に滝の流れが残っているが、古くは鳴滝山と呼ばれており、滝の打つ爆音が山野に鳴り響いたとの事である。



豪円僧正は大山寺の領地で米子城主中村一忠と争い、没するにあたり「米子城を俯瞰する地に於いてせよ、吾必ず米子城の没落を見せよう」との遺言を残したとのことである。
その後、中村家が断絶し米子城は風呂の薪にされ消滅したが、未だに地元の良さや魅力を知ろうとしない風潮に豪円僧正の真の呪縛を感じ、この地の歴史や文化について自身の無知を猛省した。