
米子市唯一の小学校と地域住民との合同運動会で、地域と小学校が一体となって競技や運営に当たっている。

皆生トライアスロンをこよなく愛する中年アスリートで、私の自転車の師匠でもある。

もうすぐ90歳と高齢だが、表彰状の宛て名書きに毎年活躍されている。


地区の大工さんが中心となり制作したとの事で、その出来栄えは言うまでも無くプロの仕事で、その気になれば何でも地域で出来ると感じた。

多くの人に名前と顔を覚えてもらい、更に考えも知ってもらうには近道は無いと痛感する運動会であった。
集団的自衛権の閣議決定を批判する長崎市長の発言について、「安全保障を語るなら国会議員になって言うべき」との国会議員の意見や議論の提案を退けた市長会の態度を批判し、市民保護は市の役割であり、市長にとっては当然の政治的関心事だとの記事を目にした。
確かに政治的関心事であることは間違いないが、単に意見を述べるのは別としても、問題は一切の権限を有しない安全保障や外交等が地方自治体の議論になり得るのかと言う点にある。
この種の意見は米子市議会でも日常茶飯事で、原発を含むエネルギー政策や基地問題等について、自治体独自の判断で決定すべきと主張する議員が少なからず存在した。
議会制民主主義の中で国と地方には役割分担と責任があり、政府や自治体首長が予算、や制度、法律等を提案し国会や地方議会で議決され実施されている。
その中でお互いに意見を述べる手続きは保障されており、それ以上にお互いの所管事務について権限のない者同士が議論し合う事自体が無意味であり、主権権者たる国民に対し甚だ不誠実だと思うのだが。
号泣議員に続き今度は不適切支出について説明を求める報道陣から、脱兎の如く逃げ回る議員が登場した。
部屋から部屋へ逃げ回り、建物から表に出て逃げ切りを図ろうとしたが、息が上がったところで取り囲まれ,観念したのかその場で記者会見が始まりその一部始終が映像で全国に流れた。
この信じ難い行動で彼は議員としての全てを失い、残された道は素直に謝罪し身を引く事しか無いと思うし、間違っても言い訳を並び立て醜態をさらさぬ方がその後の人生の為であろう。
「問題から逃げればリスクは倍になり、立ち向かえばリスクは半減する」リスク管理の鉄則であり、実体験でも嫌と言うほど味わってきた経験則でもある。
「民信無くば立たず」論語の中の孔子の一説だが、政治の要諦でもあり、政治に携わる者として一番大切にすべきものだと改めて感じた。
式の始めに主催者を代表して挨拶する梅林後援会長。
平成18年の1回目の市議会選挙は事務局長として、2回目からは後援会長として支えて頂いており、老体にムチ打ってと言われたが、まだまだ毎週ゴルフに行かれるほど気力体力は充実している。
10年間のお付き合いで、その間3度の選挙を戦ったが、2005年の初めての選挙を一か月後に控え、故広江はじめ邸に青経連有志が召集され、初々しい赤沢亮正氏を紹介されたのを思い出す。
しかし、何と言っても626漂差で勝利した2009年の2回目の選挙が私は強く印象に残っている。
大逆風の中で時に罵声を浴びせられる事もあったが、一歩もひるまず政策を訴え続けた。
中でも選挙戦最終盤の高島屋前での街頭演説は、大政治家の道を歩み出す第一歩だったと今でも確信している。続いて挨拶される舞立参議院議員。
昨年夏の盛りに行われた選挙の中でも、スーツにネクタイ姿で全県を駆け回り、目線を合わせながら挨拶される姿に真面目で誠実な人間性を強く感じた。
老獪な相手に対し、清新、真面目、誠実で戦った選挙は見事全県で圧勝し、政治にとって何が大切なのかを学ばせて頂いた。続いて挨拶される野坂市長。
来賓の中で最も長い16年のお付き合いになるのだが、やはり平成11年の落選した選挙が思い出される。
大勢の人で溢れ返っていた選挙事務所が、まるで潮が引くかのように人がいなくなり、私を含め数人しか残らなかったのを今でも鮮明に覚えており、選挙の厳しさと決めた事を貫徹する意志の強さを教えて頂いた。 出席して頂いた市町村議員を代表して、最後に挨拶される渡辺議長。
8年間の付き合いの中で、特に2年前の議長選挙は忘れることが出来ない。
役職に就くためには手段を択ばない勢力との戦いで、私の非力さから2年間足踏みさせたのは、彼や議会にとっても申し訳なかったが、その中心人物とこの度も戦うことになった事は、何やら因縁と言うものを感じる。
故広江はじめ先生の最後の選挙で知り合い、最近は特に親しくお付き合い頂いているが、その行動力は目を見張るものがあり、多くの事を学ばせて頂いている。
集まって頂いた支援者や来賓の皆様とのお付き合いの中で、ここに立たせて頂いていると強く感じながら、その責任の重さに身震いする思いで「感動・交流・鳥取県」について決意表明をした。
青年部の頑張ろうコール、今回の選挙から地元で働き始めた長男も加わった。
会長欠席のため急な出番となった副会長だったが、駐車場整理等の役割を務めて頂いた。
軍二郎と言うまさに戦いに相応しい名前の持ち主だが、実際には孫に振り回される気の優しいおじいちゃんで、公私ともにお世話になっている。
多くの人のご支援と交流の中、数々の偶然も重なりこの場に立っていると改めて痛感した事務所開き式であった。
野坂道明(のざかみちあき)
昭和32年4月9日生
議員履歴
■鳥取県議会議員(2015-)
■米子市議会議員(2006-2014)
■鳥取県西部広域行政管理組合議会(2010-2014)
学 歴
昭和45年 米子市立加茂小卒
昭和48年 米子市立第4中卒
昭和51年 烏取県立境高卒
昭和56年 帝京大学経済学部卒
経 歴
■元(財)とっとりコンベンションビューロー西部地区企画運営委員会委員長(理事)
■元(社)米子法人会青年部会副部会長
■元米子商工会議所青年部会長
■米子市消防団河崎分団員
■河崎校区自治連合会顧問
■河崎公民館運営委員会顧問
■NPO法人やまつみスポーツクラブ顧問
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