1日に開会した3月定例会も予算や議案等を可決し27日に閉会し、質問の聞き取りでごった返した議員控え室も、何事も無かった様に森閑としている。
本来であれば議会中の質問と答弁について、認識のずれが生じない様に議論する事は重要だと思うのだが、何時もの光景とは言え、喉もと過ぎればと言った感は否めない。
地方自治の両輪、二元代表と言われている市長当局と議会だが、市民目線など何処吹く風とばかりに、単に自身や組織の保身、或は利害やアピールに偏重し、市民に向いていないのが実態である。
双方に原因があると思うが、当局や職員の批判は日頃から口にするところでもあり、ここでは私も含め議員の責任について述べる事にする。
議員の問題点として最も大きいのは、何と言っても様々な行政課題についての勉強不足や知識不足であり、かみ合わない議論や聞いて終わりの質問等がその典型だが、反面、有権者の機嫌取りには熱心である。
議会では、法や制度、権限を無視した指摘や要望など日常茶飯事で、委員会の議論は言うまでも無く、討論や質疑と称し堂々と議場で演説する始末である。
議会の議論である以上、法的にも財源的にも一定の根拠を持って発言すべきだが、自身の思いや、その場限りの思いつき、或は信念の無い数合わせ的意見が殆どで、深刻な職業病とも言える。
民主主義の代償と割り切るには、余りに大きいと言わざるを得ないのだが、一番の責任は、数や報酬等の末梢的議論のみで、質的議論に踏み込まない主権者たる市民の無関心にあると言えないか。